クメール遺跡の町ピマーイ EP3 幽霊の門 ไปพิมายกัน ตอน ประตูผี
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ピマーイ歴史公園から出たわたしたちはナイトバザールに向かいました。
ホテルから歴史公園そしてピマーイ・ナイトバザールは歩いてゆける距離なので運転はしません。
出店が並ぶマーケットを歩いていると通りのすぐ後ろに“メル・プロマタート”と呼ばれる古代遺跡がみえました。アユタヤ時代後期に築かれたもので、地元の伝説としてメル・プロマタートという権力者がここで荼毘に付されたという民話によるものです。
詳しい情報があまりないのですが、この遺跡と歴史公園の石造りの城とは関係ないようです。


ナイトバザールを歩きました。
ここには座って食べられるようなお店がほとんどないことがわかりました。タイミングがろうそく祭りの日で、それも関係していたのでしょう、通りを大きく空けておく必要があったのかもしれません。
それでここで夕食を買ってホテルで食べることにしました。
そこからの帰り道、ハズバンドが、来たときとは違う道を帰ろうといいました。
彼の興味のままに大体の方角に歩いているとわたしたちは突き当りのような場所にたどり着きました。
壊れかけた古代遺跡のようです。
"Pratu Phi" (幽霊の門)
もちろんわたしたちはすぐに興味をもちました。
幽霊の門・・・・・。

ピマーイ歴史公園に残る石の宮殿。
それを中心にして市のゲートは4か所に設置されていました。でも今の残っているのは3か所だけです。
「南はプラトゥチャイと呼ばれます」
「東はプラトゥヒンと呼ばれます」
「北はプラトゥピと呼ばれます」
すべての門は、仏歴18世紀のクメール時代に建てられました。


わたしたちが歩いてきたのは北門でした。町の人々が呼んでいたのです、
"プラトゥピィ" (ゴーストゲート・幽霊の門)。


その昔、町で人が亡くなると必ずそうしなければならない伝統があったのです。それは遺体は町の中で焼却してはならず、1か所の門を使って運び出し、町の外で処理するというきまりだったのです。
これはアユタヤ旧市街にもよく似た遺跡が残っています。やはり同じようにゴーストゲートのような名前でした。
前述のプラトゥチャイという南門についていいますと、敵の攻撃を受けにくい戦略上の要衝として使われている門です。 というのも、こちら側の地形には「ノンブア」という大きな沼と小さな沼がたくさんあるからです。
ここの地理に精通していない敵は多くの場合敗北し、町の人々が勝利することがよくありました。
わたしたちは幽霊の門をあとにしてホテルへの帰り道を探しました。かなり奥まで歩いてきたので疲れとそれに暑さがこたえてきました。
住宅地に入ってきたので塀の内側から吠える犬が目立ちます。
もしなにかのミスで犬が出てきたらきっと怖がるわたしをまず嚙むでしょう。犬はだれが怖がっているのか本能的に察知します。
わたしは焦っていました、
「急いでもとの道へ戻りましょう」
こうして歩いてホテルへ無事に戻りました。
お腹がすきました。
楽しく面白い日でした。
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เราสองคนเดินออกมาจากอุทยานประวัติศาสตร์พิมาย เพราะเราตั้งใจว่าเราจะมาหาอาหารเย็นและมาเดินเล่นที่ตลาดไนท์บาร์ซ่าด้วย
ครั้งนี้ฉันเลือกที่จะไม่ขับรถ เพราะเราตั้งใจกันว่าจากโรงแรมที่พักเดินออกมาเพียงไม่ไกลก็ถึงอุทยานประวัติศาสตร์พิมายและตลาดไนท์บาร์ซ่าแล้ว
เมื่อเราเดินไปหาของทานกันที่ตลาด เรามองเห็นโบราณสถานแห่งหนึ่ง มีชื่อว่า "เมรุพรหมทัต" ซึ่งเป็นโบราณสถานที่สร้างขึ้นในสมัยอยุธยาตอนปลาย
โดยมีพิธีกรรมทางศาสนาเข้ามาเกี่ยวข้อง อันเนื่องมาจากนิทานพื้นบ้านโบราณได้กล่าวถึงสถานที่ถวายพระเพลิงท้าวพรหมทัต
ฉันจึงลองหาข้อมูลเพิ่มเติมและพบว่า เมรุพรหมทัตแห่งนี้ไม่มีความเกี่ยวข้องอะไรกับปราสาทหินพิมายเลย เพียงแต่ตั้งอยู่ทางทิศใต้ของปราสาทหินพิมายเท่านั้น
เมื่อพวกเราเดินดูอาหารเย็นเพื่อที่จะซื้อกลับมาทานที่โรงแรม เพราะบริเวณตลาดไนท์บาร์ซ่าไม่มีที่นั่งสำหรับรับประทานอาหารเลย
สามีของฉันเลือกที่จะเดินกลับทางอื่นที่ไม่ใช่ทางที่เราเดินมากันก่อนหน้านี้ เพราะเขาคิดว่าจะต้องมีทางอื่นให้เดินกลับโรงแรมได้แน่นอน
เราสองคนเดินไปเรื่อยๆ เดินผ่านบ้านคนมากมาย จนกระทั่งเราเจอทางตัน และทางตันนั้นมีโบราณสถานเก่าแก่อีกแห่ง มีป้ายเขียนว่า "ประตูผี"
ฉันและสามีเกิดความสนใจอย่างมาก ทำไมถึงเรียกว่าประตูผีนะ? ดังนั้น ฉันจึงหาข้อมูลเพิ่มเติมและพบว่า
ประตูเมืองมี 4 ด้าน ซึ่งประตูทุกบานจะส่องตรงเข้าไปยังปรางค์ประธานของปราสาทหินพิมาย แต่ตอนนี้เหลืออยู่เพียง 3 ด้านเท่านั้น
(ปรางค์ คือ สิ่งก่อสร้างประเภทหนึ่งในงานสถาปัตยกรรมไทย เป็นหลักประธานในวัดเช่นเกียวกับพระเจดีย์ แต่เดิมถือว่าเป็นงานสถาปัตยกรรมที่มีรูปแบบลักษณะเฉพาะขอม)
"ทิศใต้ เรียกว่า ประตูชัย" "ทิศตะวันออก เรียกว่า "ประตูหิน" "ทิศเหนือ เรียกว่า ประตูผี" ซึ่งประตูทั้งหมดก่อสร้างตั้งแต่สมัยขอมในพุทธศตวรรษที่ 18
ซึ่งแน่นอนว่าพวกเราเดินมาทางทิศเหนือ ชาวเมืองเรียกประตูนี้ว่า "ประตูผี" เนื่องจากในอดีตมีประเพณีความเชื่อว่าเมื่อมีคนตายเกิดขึ้นในเมือง
ห้ามมีการเผาหรือฝังเอาไว้ในเมือง ให้ออกไปจัดการกันที่นอกเมือง โดยให้นำศพผ่านออกทางประตูนี้เพียงประตูเดียว
สำหรับประตูชัยเป็นประตูที่ใช้เป็นจุดยุทธศาสตร์ที่ยากแก่การโจมตีของข้าศึก เนื่องจากภูมิประเทศด้านนี้มีหนองน้ำขนาดใหญ่ ชื่อว่า "หนองบัว" และมีหนองน้ำขนาดเล็กจำนวนมาก
ข้าศึกที่ไม่สันทัดในพื้นที่แห่งนี้มักจะพ่ายแพ้และชาวเมืองมักจะได้รับชัยชนะ
เราสองคนเดินออกจากประตูผีมาเพื่อหาทางกลับโรงแรม แต่ว่ายิ่งเดินลึกเข้าไป เราก็เริ่มเหนื่อยและรู้สึกร้อนมาก
อีกอย่างการเดินเข้าไปในซอยที่มีแต่บ้านคน เราจะพบกับสุนัขต่างก็พร้อมใจกันเห่าเสียงดังจากในบ้านคน ซึ่งฉันรู้สึกกลัวมาก หากมันหลุดออกจากประตูรั้วได้คงเข้ามากัดฉันแน่
ฉันจึงรีบบอกสามีว่า เราเดินออกไปถนนใหญ่ที่เราเดินมาก่อนหน้านี้น่าจะดีกว่า เพื่อความปลอดภัยของขาของพวกเรา
ในที่สุดพวกเราก็เดินถึงโรงแรมโดยปลอดภัย ด้วยความหิว เราจึงรีบทานอาหารเย็นในห้องพักและพักผ่อนทันที
テーマ : タイでの生活・暮らし
ジャンル : ライフ
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No title
荼毘の後ですか
日本は土葬が多かったのかな、考えて見れば父・兄は土葬でしたよ
母の頃は火葬でしたがね、街の中では火葬って習慣だったかな、埋葬する場所がないのが
一番の理由ですがね
しかし各国に幽霊っているんだなってよく思いますよ、英国の古い城には間違いなくいそうですし。日本の幽霊と違ってあまり怖くないかな
日本は土葬が多かったのかな、考えて見れば父・兄は土葬でしたよ
母の頃は火葬でしたがね、街の中では火葬って習慣だったかな、埋葬する場所がないのが
一番の理由ですがね
しかし各国に幽霊っているんだなってよく思いますよ、英国の古い城には間違いなくいそうですし。日本の幽霊と違ってあまり怖くないかな
Re: EGUTI YOUSUKE さま
こんにちは ありがとうございます
“メル・プロマタート”については、あれは仏塔だと思われます
荼毘のあとそこに建てられたのだと考えるのが正解だと思います。
ゴーストストーリーはタイにもたくさんあります
ゴーストと精霊が混同されている場合もあります
どちらにしてもそのパワーは生きている人間にとっては役立つときも、また逆に恐怖の対象となる場合もあります
日本も同じような思想があるようですが、古い巨木に精霊あるいは神が宿るというようなお話もたくさんありますね
“メル・プロマタート”については、あれは仏塔だと思われます
荼毘のあとそこに建てられたのだと考えるのが正解だと思います。
ゴーストストーリーはタイにもたくさんあります
ゴーストと精霊が混同されている場合もあります
どちらにしてもそのパワーは生きている人間にとっては役立つときも、また逆に恐怖の対象となる場合もあります
日本も同じような思想があるようですが、古い巨木に精霊あるいは神が宿るというようなお話もたくさんありますね
思い出が尽きる事が有りません
タイでのプロジェクトが終わり、現地社員の故郷を尋ねながらの東北地方へ
国道を外さなければ、心配ない一人旅でした
「魔女様」や「ちい公様」のブログに出てくる懐かし地方都市名や現地食の数々
単なる観光案内で無い所が余計思い出が湧いてき、目まいが起きるほどです
に
戦没者墓地・・・
彼は悲しそうな顔で・・・共に「戦争を知らない世代」ですが、お気持ち、痛いほどわかります
田舎町の小さなホテル・・・
部屋に案内してくれたボーイの手には「蚊取りスプレー」すかさず、部屋の中を、シュッ、シュー
こんなサービスがありました・・・ハイ!チップ!
電車の旅はいかがですか?
BTS、MRTは別としてローカル線のホームが低い
電車の出入口とホームの高さが同じと思っている、日本人が驚く事の一つです
「魔女様」日本では、どうでしたか?
国道を外さなければ、心配ない一人旅でした
「魔女様」や「ちい公様」のブログに出てくる懐かし地方都市名や現地食の数々
単なる観光案内で無い所が余計思い出が湧いてき、目まいが起きるほどです
に
戦没者墓地・・・
彼は悲しそうな顔で・・・共に「戦争を知らない世代」ですが、お気持ち、痛いほどわかります
田舎町の小さなホテル・・・
部屋に案内してくれたボーイの手には「蚊取りスプレー」すかさず、部屋の中を、シュッ、シュー
こんなサービスがありました・・・ハイ!チップ!
電車の旅はいかがですか?
BTS、MRTは別としてローカル線のホームが低い
電車の出入口とホームの高さが同じと思っている、日本人が驚く事の一つです
「魔女様」日本では、どうでしたか?
ソムチャイ sama
ソムチャイさま こんにちは
ありがとうございます
わたしのブログでタイの思い出をなつかしく思い出してくださればとてもうれしいです
鉄道の旅
ホームが低いのはきっと日本の方は驚くでしょうね
とくにお年寄りは乗ったり下りたりが大変です
足の長いわたしもとても注意します
これがもし日本ならあり得ないかもしれません
すこしホームとの間隔が開いていると何度もアナウンス
「気をつけてください、あぶないです」
日本の鉄道は外国人からみればパーフェクトな驚きでしょうね
まず時間の正確さ
タイでは5分や10分遅れても何も言いませんが日本では1分遅れると、
駅でも何度もアナウンスそして車内でもお詫びのアナウンスがうるさいほどです
タイで少し遅れてくるのは当たり前ですから、たまに時間通り来ると驚きます(笑)
ありがとうございます
わたしのブログでタイの思い出をなつかしく思い出してくださればとてもうれしいです
鉄道の旅
ホームが低いのはきっと日本の方は驚くでしょうね
とくにお年寄りは乗ったり下りたりが大変です
足の長いわたしもとても注意します
これがもし日本ならあり得ないかもしれません
すこしホームとの間隔が開いていると何度もアナウンス
「気をつけてください、あぶないです」
日本の鉄道は外国人からみればパーフェクトな驚きでしょうね
まず時間の正確さ
タイでは5分や10分遅れても何も言いませんが日本では1分遅れると、
駅でも何度もアナウンスそして車内でもお詫びのアナウンスがうるさいほどです
タイで少し遅れてくるのは当たり前ですから、たまに時間通り来ると驚きます(笑)
タイ人女性のJR運転手
日本人の間では「ピーマイ」と呼ばれていました
日本人でも東京を「トキオ」「トキョー」と言う人もいますから・・・
魔女様のブログでも紹介されていました、タイ人女性のJR運転手
タイ日ハーフ、Thai PBSで日本の技術や文化をタイに紹介するレポーター
藤崎 ポンパン さんが「YouTube」で発信してました
話題となった日本の鉄道の運転士になったタイ人女性
凄い努力と頑張りで今も活躍されている事でしょう
時間の観念が一番大変だったと思います
正確無比のJRでは「マイペンライ」が許されませんから!
後に続く方が出てくれば嬉しい限りです
日本人でも東京を「トキオ」「トキョー」と言う人もいますから・・・
魔女様のブログでも紹介されていました、タイ人女性のJR運転手
タイ日ハーフ、Thai PBSで日本の技術や文化をタイに紹介するレポーター
藤崎 ポンパン さんが「YouTube」で発信してました
話題となった日本の鉄道の運転士になったタイ人女性
凄い努力と頑張りで今も活躍されている事でしょう
時間の観念が一番大変だったと思います
正確無比のJRでは「マイペンライ」が許されませんから!
後に続く方が出てくれば嬉しい限りです
Re:ソムチャイ sama
こんにちはソムチャイさま ありがとうございます
タイ人女性の第1号JR運転士
彼女は東所沢電車区ですからソムチャイさまはいつか彼女の運転する伝写に乗られるかもしれませんね
彼女にはいつまでもくじけずに頑張ってほしいとねがっています
そうですね
時間がとくにきびしい日本の鉄道
最初はその感覚の違いが大きな驚きだったかもしれませんね
でもなにより
日本が好きなこと そして電車が好きなこと
それが彼女をここまで頑張らせてくれたのだと思います
もうひとつは
彼女のまわりの日本人の心とやさしさがとても重要だったとわたしは感じています
タイ人女性の第1号JR運転士
彼女は東所沢電車区ですからソムチャイさまはいつか彼女の運転する伝写に乗られるかもしれませんね
彼女にはいつまでもくじけずに頑張ってほしいとねがっています
そうですね
時間がとくにきびしい日本の鉄道
最初はその感覚の違いが大きな驚きだったかもしれませんね
でもなにより
日本が好きなこと そして電車が好きなこと
それが彼女をここまで頑張らせてくれたのだと思います
もうひとつは
彼女のまわりの日本人の心とやさしさがとても重要だったとわたしは感じています